40歳を過ぎてから、運動を再開しました。サッカーやスプリント、週に何度かのトレーニング。それは身体のためというより、人生の「気」を整えるために始めたものでした。
でも、いざ仲間を誘おうとすると——みんな、なかなか動かない。
「いや、時間がね…」「体力がもう…」 そんな言葉を何度も聞きました。
だけど、それって本当に“時間”や“年齢”の問題なんだろうか?
僕自身も、かつては「時間がない」が口癖でした。けれど、冷静に1日を見つめ直せば、スマホを眺めていた時間、なんとなくSNSを開いた時間…そういう〝あってないような時間〟が山ほどある。
**時間がないのではなく、「エネルギーが湧いてない」**だけなんじゃないか——そう思ったのです。
エネルギーは、湧き上がるものです。 義務では動けないけど、〝やりたい〟という衝動には体が勝手に反応する。
たとえば、朝。仕事前のほんの30分。 誰にも邪魔されない、電話も鳴らないその時間に、走る。
これは「健康のためにやっている」んじゃなくて、「自分がまだ生きている」と確かめる行為に近いかもしれません。
ダライ・ラマの言葉を、ふと思い出します。
「人はお金を得るために健康を犠牲にし、健康を取り戻すためにお金を犠牲にする。そして未来を心配して現在を楽しまず、その結果、現在にも未来にも生きることができない。」
突き刺さるような真理です。
僕たちは、なぜ“生きてる実感”を先延ばしにしてしまうのでしょう?
もしあなたが、何か新しいことを始めたいけど、腰が重いと感じているなら——
それは「やる気がない」のではなく、「エネルギーが湧く方向じゃない」だけかもしれません。
逆に言えば、エネルギーが自然に湧く場所・人・習慣を選ぶだけで、人は驚くほど動けるようになる。
だから、僕は今日も走ります。 自分の「気」がどこに向かおうとしているのかを、ちゃんと感じるために。
〝気が合う〟という言葉があるように、人生も、仲間も、すべてはエネルギーの共鳴。
その波に乗ったとき、きっと人はまた動き出せる。
〝人は、エネルギーの向かう先にしか、動かない。〟
そんな当たり前の真実に、40代でやっと気づいたのでした。